今年一番の一冊「里山資本主義」で日本の未来を考える!後編
里山資本主義の後編です。
トミーが反応をくれました。
道志がそのようなつながりがあったんだ!トミーに勧められているのになかなか読めなかった。
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
いやぁ、この本は素晴らしい! https://t.co/5Cj7EwHDr4
耕作放棄地の利用
ちょうど昨日、ここ社会科の学習で授業をしていたんですよね。。。
ではそうした人々の「無意識の変化」は、実際に何をどう動かし、どんな可能性を提示し始めているのか。中国地方が抱えるもうひとつの大きな「お荷物」であり「課題」である「耕作放棄地」をめぐる最新の動きを追いながら、考えていきたい。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
草ぼうぼうの耕作放棄地を借り、牛を放している。二四時間三六五日、牛たちは毎日気ままに草はらを歩き、気の向いた場所で草をはむ。乳が張ると牛舎にやってきて、乳をしぼってもらって、また草原に戻っていく。 #里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
牛は、穀物を一切食べていない。でも乳は出る。草ばかり食べているからおいしくないかというと、とんでもない。飲んでみると驚くほど濃厚だ。 #里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
だが、今の酪農が当然のこととしている常識は、疑ってみる必要があると思うのだ。 例えばそのひとつが、「穀物を食べさせないと濃い牛乳は生産できない」ということだ。私たちは取材で目から鱗を落とされた。草だけの牛乳は、確かに濃かったのだ。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
「牛乳の価格をおさえないと売れない」という常識もあやしい。洲濱さんの牛乳は、市販の五倍もする。でも売れる。それはそうだ。こんなに健康的な環境で育ち、自然そのもののエサを食べた牛の乳は、飲みたくなる。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
疑うのは今までの「常識」であって、そこに地方が生まれ変わるヒントが隠されているんですね。
常に「これは本当に必要か?」その問いを持ち続けてきたことがこの地域の活性化につながっている…そんな文章もありました。
その常識とは何か。第一は、耕地で育てるからには、「相当額のお金に姿を変える経済行為でなければならない」という常識だ。いいかえれば、必ず「市場なるところ」で売ってお金と交換してこなければならない、という常識だろう。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
それなのに私たちは、耕地を使うときは、できたものを必ず外の市場にもっていき、売らなければならない、と信じてきた。そのために、作るものの品質と量だけにひたすらこだわり、他の産地に負けないよう、価格を競争してきた。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
そのあげく、「戦えない商品」しかつくれない耕地では、何も作らないという選択をしてきたのだ。耕地を放棄し、そして食べるものを外から買い、自給率を下げてきた。 そうしたことが地域で暮らすコストを押し上げ、結果、地域が生きていくことを難しくしている。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
豊かさが巡回する
施設の調理場に運び込まれる野菜は県外産ばかり、と書いた。それは、その分のお金が地域の外に流出していることを意味する。それを払わずに地域の中で買うと、お金が地域にとどまる。さらに対価を地域の中でしか使えない仕組みにすると、「豊かさ」が地域を巡回することになる。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
友達を引き連れてやってきた一二三さんは、なんだか誇らしげだ。財布の中には、地域通貨。ランチに使われる野菜の一部は、一二三さんの菜園から提供されたものなのだ。カボチャのグラタンが運ばれてくる。一二三さんの畑からいただいたカボチャだと説明される。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
楽しみは、これだけでは終わらない。希望すれば、隣の保育園で子どもたちと遊ぶことができるのだ。お年寄りたちに「ランチ弱者」を克服してもらった次の瞬間、今度は「孫世代と触れ合えない弱者」であることまで克服させてしまう装置を、熊原さんは用意していたのだ。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
考えてみれば、みんな何人もの子どもを育ててきた大ベテラン。単にお年寄りが楽しいばかりでなく、子どもにとっても保育園にとっても、大助かりな仕組みなのだ。 #里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
この仕組みでは、施設の障害者も活躍している。これまで多くの障害者は、授産施設(社会就労センター)と呼ばれる特別な場所で働くしかなく、外の人と接する機会が限られてきた。しかし、熊原さんが作り出したこの装置では、障害者のみなさんが重要なバイプレーヤーだ。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
熊原さんは隣の保育園で、彼らが給仕の仕方を子どもたちに教える機会もつくっている。子どもたちは素直に感心し、「教えてくれてありがとう」と言う。同時に子どもたちは、世の中に体の不自由な人がいることを知り、そうした人ががんばっている姿を記憶に刻み込む。 #里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
なんて素敵な光景なのだろうと思う。地域に「小さな経済圏」を作り、そこで循環させていく…それはお金だけではなく、人にも言えることなんだ。
ちょっとしたことを「つなげる」それができるだけで人々はもっと幸せになることができるのではないか。。。
これからの未来
二一世紀の人類が掲げるもうひとつのキーワードは「多様性」だ。多様であることこそ豊かさなのだ。それは「もの」にもいえるし、「ひと」にもいえる。 大量に安く良いものが手に入るのが当たり前の時代。その時代を経た先に、個性が価値になる時代がやってくる。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
もう大量に消費する時代は終わっている。これからは成長社会ではなく成熟社会。。。その意味は、もう自分たちが暮らしていて、あらゆるところに感じている。
バブルの頃世界最高だった一人当たりGDPも、世界一七位だというが、絶対額ではこの間も微増している。それどころか生産年齢人口(一五~六四歳)当たりのGDPを計算してみると、今でも日本の伸び率が先進国最高だという。経済的な繁栄の絶対的な水準は、まったく下がっていない #里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
なぜそういうことになるのか。それは、身近にあるものから水と食料と燃料の相当部分をまかなえているという安心感があるからだ。お金を持って自然と対峙する自分ではなく、自然の循環の中で生かされている自分であることを、肌で知っている充足感があるからだ。 #里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
里山資本主義について考えていくこと…地域や都市部の未来を同時に考えていくことで、老後に向けて貯めなくてはいけないのは「資金」ではないことに気がつく。
この里山資本主義という保険の掛け金は、お金ではなく、自分自身が動いて準備することそのものである。日常の安心にも見えない差が生まれる。正に保険とは安心を買う商品であり、里山資本主義とは己の行動によって安心を作り出す実践なのである。#里山資本主義
— ao-sen (@aosenn) 2017年11月21日
自分自身が動いて準備をしていくこと。。。
変化は自分自身にあることを、もっともっと考えていかないといけない。
今まで自分が判断してきたことに「誇り」を持ちつつも、この本を読み終えると若干の後悔も残る。そして地方で暮らす人たち…僕が見てきた人たちはこの恵みを生かそうとしているだろうか…そこに自信はない。
ただ、本当に恵まれているなぁと感じるのは、自然が豊かであることだけではない。この本に載っているうような、小さな経済圏を創っていけるパワーや財が豊富にあると言うことだ。
金だけが循環するのではなく、人、モノも循環していく世の中を…さらに自分が創っていくお手伝いがどこかでできたらと思う。
いろいろなことを考えさせられる素晴らしい一冊でした。ぜひぜひ読んでください。