協働的な授業リフレクション、授業者として参加し学ばせてもらいました!
「今ここ」の授業から学ぼう!先生のための協働的な授業リフレクション、終了!!
昨日は授業者として参加してきました。
僕のやった授業は、「ヨガと瞑想」のこと。授業!?というツッコミも入りましたが、
20分という時間制限
自分のやりたいことをやってくれ
と言われて、ぱっと思いついたのがこれでした。20分ってかなり短く、僕自身も模擬授業は苦手、だったらたくさん動いて感じてもらうものにしようかと思ったのです。
この実験授業後、参加者の半分が中央円に、もう半分がその外側で観察する金魚鉢「フィッシュボウル」という形式で、協働的な授業リフレクションが行われました。
参加者の言葉を聞いて考えたことがいろいろありました。
ネガティブな自分への「嵐」を遠ざける
リフレクションを褒められたい。自分の欲は外してあげること。
— ao-sen (@aosenn) September 2, 2017
あと、自分に振りかかる嵐も避けること。自分へのネガティブな評価は、リフレクションを妨げる。#協働的な授業リフレクション
こちらは上條先生の言葉。
自分に降りかかる嵐という表現が心に残りました。
「自分にはできない」
「これは自分が悪いんだ」
リフレクションの際に、自分を卑下したり、蔑んだりする言葉です。
たしかにこういう言葉は浮かぶなぁ。そうするとリフレクションが反省になり、本当に自分が大切にしたいこと、一番に思っていることが取り出せなくなってしまいます。ポジティブな感情に目を向けるのも、この自分への「嵐」をなくすため。
ぼくもリフレクションの際には大切にしたいと思います。
ジグザクに深めていく
リフレクションを対話の中でやるにはジグザグに深めていくことも大切。一発で当てようと思わない。#協働的な授業リフレクション
— ao-sen (@aosenn) September 2, 2017
言葉不十分だったり曖昧な感情だったりするところを教師が補ったりする場面、授業中でもあります。特に振り返り後の言葉は曖昧なところが多く、もっと深く聞きたいなぁと思うことが多いです。
そういうときに一発で当てようとせずに何度かやりとりをしていっていいということを学びました。
あたっていたりずれていたりを繰り返しながら、ジグザグにリフレクションを深めていくこと、これから大切にしていきたいと思います。
80点でみんなの前に立ち続けること
「安定した自分で立っていたい。」
— ao-sen (@aosenn) September 2, 2017
「80点で子どもの前に立ち続けること。」
この言葉が届く裏には、立ち振舞があった。嬉しい言葉だなぁ。#協働的な授業リフレクション
僕が最初から計画していた言葉ではないんですけど、こういう言葉が心に響いたと話してくれた参加者が多かったです。
安定して子どもの前に立つこと…
何よりも大切なことです。
朝起きてどんなに具合の悪い日も、心のモヤモヤが晴れない日も、子どもたちの前にそれをひきずってたつのではなく、すっと調整して立てるように。
僕にとってヨガや瞑想はそういうチューニングのようなものになるんでしょうね。
「その言葉を裏付けるのが佇まいや在り方だ」というお話しもいただきました。
穏やかにいる、そういう所作にすべてが出る…自分自身の在り方、これからも磨いてきたいです。
前の学校での稲作体験
僕が没頭、フローについて考えたのは農業体験。
— ao-sen (@aosenn) September 2, 2017
そんな原体験もやりながら思い出せた。
五歳児は「今ここ」。でも10歳児は今にあらず。小学校のシステムが、それを妨げてるんじゃ?#協働的な授業リフレクション
これは聞きながら、「いつから呼吸やこういうことを意識し始めたんだ?」という問いが浮かんできて、答えを見つけました。
数年前に5年生を担任した頃、舞岡公園で稲作体験を行った時のことです。
2時間稲を刈るのに集中したり、籾殻をとるのに集中したりした後のこと。
頭の中がみょうにすっきりしたのを覚えています。
「どうしたこんなにすっきりするんだろう。」
いろいろなことに気を散らしていた自分がいて、一つのことに没頭する体験が行えていなかったことに気づきました。
そこからですね、その頃アキレス腱の断裂もあったので、自分の身体、自分の心に目を向け始めました。
協働的な授業リフレクションの価値
通常の授業研究は、授業者の成長を考える。
— ao-sen (@aosenn) September 2, 2017
協働的な授業リフレクションは、周りの人が自分の感覚で、大事なことを取り出す。
前者は学び手が一人。後者は学び手が全員。
学校として成長するのは明らかに後者。#協働的な授業リフレクション
これは大きな発見でした。
従来の授業研究では、授業者の成長を支えるために、みんなが授業者側にたって「どうすればよかったか」「どう考えるか」を言い合います。
この場合、成長は授業者に起こります。残念ながら言われすぎてわけがわからなくなるケース、押しつけられてしまって成長できないケースがほとんどです。
協働的な授業リフレクションでは、周りのメンバーが授業の中から、自分の一番びびっときたことを取り出します。そうして自分の価値観に合わせて、それを教室で再現するための仕組みを学びます。
そうすると成長していくのは授業者以外のみんなになるし、授業者も基本的にはポジティブなフィードバックが得られるので、それを受けていろいろ考え、成長していきます。
成長はその参加者全員に起こります。
こう考えると協働的な授業リフレクションを、研究授業でも取り入れたい!!が強くなってきます。上條先生を授業研究会にお呼びしたいなぁ。
まひとの授業
仲間のアイスブレイクの授業で感じたことは、「自由に話して共通点を見つけて下さい」みたいなアイスブレイクでしゃべり出すこと、自分は苦手なんだということです。
— ao-sen (@aosenn) September 2, 2017
そういう意識がなかったけど、自由に話すと最初にはなかなか話せないもんです。#協働的な授業リフレクション
僕の仲間は、わざと全グループ発表させなかったり、うまーくつなげていったり、そういう細やかな配慮をしていないようで、できている人。
— ao-sen (@aosenn) September 2, 2017
その場その場で即興的に創っていくセンスが素晴らしかった。
「即興×計画」その関係性、バランスが見事。#協働的な授業リフレクション
仲間であるまひとの授業も興味深かった。まひとの人柄が存分に発揮されていました。
参加者の方の振り返り
僕らと同じ都市の職場にいる皆さんが本当によく参加してくださいました。そういう方々と出会えたことが宝です。また多くの皆さんと笑顔で話せたこと、嬉しいですね。
参加していただいた皆さん、本当に感謝いたします。ありがとうございました!!