先生の働き方Design研究所

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書評「武器としての書く技術」を読みました!

 

武器としての書く技術 (中経出版)

武器としての書く技術 (中経出版)

 

 

 とてもいい本でしたよ。イケダハヤトさん、ブログもとっても面白いんです。

 

まだ東京で消耗してるの?

 

 

  • そこで、これからの文章術にはスピードが求められます。伝えたいことをパッと作成し、ポンと提供する。もし、届かなければ、また新たな文章を作成し、提供する。その繰り返しが大切なのです。  ぼくの場合、ほとんどの文章は15分以内で提供します。「インスタントだ」と批判されることもありますが、しかしこうした「スピード」こそが新時代を生き抜くコツなのです。
  • 2つ目は「コピー力」です。0・1秒で人の心をつかむコピー力が大切になってきます。  既に述べたように現代人は暇ではありません。時間がない。自分が読むべき文章かどうかは、1秒に満たない時間で判断されます。そこで必要なのがコピー力です。どんなにいいことを言っていても、どんなに世の中に必要なことを伝えようとしても、読んでもらえなければ存在しないのと同じです。まず、人目を引かねばなりません。

 

 そうなんだよな。正しい文章より、「すぐに伝わる文章」。これが時代の変化なのだと思う。学校の先生は正しい文章を教える必要がある。でも同時に「伝わる文章」の話もしたい。そういう書き方だけじゃないんだよ。振り返りジャーナルなんて、話し言葉で書いてるもんな。

 そのために、いくつかビビッときたこと。

  • 起承転結している暇はない。結論が先
  • 断定して書く
  • 話すように書く

 これらを意識してブログ書いていこう。

 

  • 「誠実」という言葉を使いました。そうです、臆することなく言いたいことを言うというのは、自他に対する「誠実さ」を貫く生き方ともいえるでしょう。 「こんなことを書いたら嫌われる……」と恐れて公開ボタンを押すのを諦めたとき、ぼくは自分に対して誠実ではなくなります。自分を偽り、本当に言いたいことを言わずに、周囲の顔色をうかがいながら、生きて、死ぬということです。ぼくはそんな不誠実な生き方はしたくありません。

 これ、わかるなぁ。こういう人に子どもたちって惹かれるんだよな。子どもの感覚。僕も誠実に言いたいこと言って伝えていきたい。

 

  • ブログを用いた自己表現というのは、「希薄になった自分の濃度を高める作業」です。  ぼくらは幼いころから「人が嫌がることはしてはいけない」「みんな一緒が理想」「先生(年長者)の言うことは無条件で聞かなければいけない」などなど、「自分」を希薄にさせるような教育を受けてきました。  個性が大切だ!という教育的なお題目はあれど、いざ実際に個性を発揮しようとしたら、周囲から同調圧力がかかり、結局「みんな一緒」であることを強要されるのが、日本社会です。

 そうなんだよね、その同調圧力を生んでいるのが学校。

 作家の時間、読書家の時間をやるのは、その同調圧力とは真逆の方向に向かい、「希薄になった自分の濃度を高める作業」になるから。

 

 

読書家の時間: 自立した読み手を育てる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

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作家の時間―「書く」ことが好きになる教え方・学び方(実践編) (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

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 自分という軸を学習の中に置いているからこどもたちはそこに楽しさを感じる。これからの時代はそれが必要になる。「自分」が希薄にならないように、学習の中に配慮すること。考えていきたいな。

 

 一等賞をつけるなら、学校の先生も時代の変化を感じながら、より実践的で惹かれるものを学習の中に散りばめていく必要がある。「本当にそれって必要か」を考えながら、学習のプロセスやコンテンツを考えていきたい。